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韓菜和牛コリアハウスBLOG

【韓菜和牛コリアハウスBLOG】
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ささやかな記念セール

淡い記憶ですが「天を盗んで日を変える」という諺が中国にありました。

豊富な海底資源に恵まれているとの観測が打ち出されてから、突如「尖閣諸島は古来からわが国の領土だ」と主張し始めた中国の対応ぶりから想起した諺です。

また、今回の尖閣諸島国有化に反対する中国全土にわたる「反日デモ」や暴動の報道を見て、中国の兵法書「三十六計」のひとつに「桑を指してエンジュを罵る」という、味方に対して行う計略があったことを思い出しました。

貧富の格差拡大や政府の汚職・不正に業腹な国民の不満を日本に転嫁させ、日本を屈服させる手段として、無知な国民を扇動・利用したのではないかと、うがった見方をしています。

江沢民前政権の「親米反日路線」の回帰を目指す次期の習近平時代には日米同盟の分断を画策して、さらに攻撃的な戦略を仕掛けてくることが予想されます。

その渦中、次の首相になるであろう自民党の総裁選で安部晋三元首相が選出されたことは欣快にたえません。

病気のためとはいえ「政権を途中で放り出した」という”汚名”は付きまとうものの、就任3カ月で教育基本法案を成立させ、防衛庁を省に格上げさせた手腕は高く評価されます。さらに、歴代政権が長期に亘って先送りにしてきた憲法改正のための国民投票法の制定も成し遂げました。

安全保障、外交、経済すべてにおいて国益を害してきた民主党政権の早期の退場と、強い日本の復活を期待して止みません。

デフレ対策と円高是正に無作為な日本は、1960年には世界一位であった国際競争力でも昨年度には26位にまで落ち込んでしまい、輸出企業は否応なく生産拠点を海外に移転せざるを得ない状態。

電気・電子関連産業では5割近く、自動車部門では3割以上が海外での生産を余儀なくされています。

結果、労働人口は高賃金の製造業から安い給料のサービス業に流出し、国民所得の低下という構造的変化が進んでいます。

節約志向の中、値下げ合戦を展開している外食産業でも危機は目前。

最近でも弊店近くの、美味しいと好評だったカレー屋さんとラーメン屋さんが廃業に追い込まれました。

生き残る道の狭さを痛感させられる事態ですが、お得意様の長年のご愛顧やご支持のおかげで創立40周年を迎えることが出来ました弊店では、その感謝の気持ちを込めましてささやかな記念セールを実施しています。

甲論乙駁のすえ、初ドリンクの無料サービスと高品質のお肉を盛り合わせた特別セット2種類(サンキューの語呂合わせで3,900円)をご用意いたしました。

今の段階では28日(金)までの予定ですが、出方次第では多少の変更が生じるかもしれません。

慎にささやかで恐縮の極みですが、この機会に是非ともご来店賜りますよう偏にお願い申し上げます。






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[ 2012/09/26 22:26 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

漂流船に射した夜空の星

職種に焼肉店を選んで開業したのには、近隣商店への配慮という以外に、もうひとつの大きな訳がありました。

それは年に一度だけ、誕生日に母が作ってくれた鯨肉ではない牛肉のスープ。

当時、牛肉は庶民にとって“高根の花”。 「世の中にこんなに美味しいものがあったんだ」と歓喜雀躍する幼少期から、高校卒業まで続いた最高のプレゼントでした。

その時に脳裏に刻み込まれた「ほかの皆にもこの美味しさを味わってもらいたい」という”埋もれた願望”が職業の選択に逡巡している際に触発、台頭したのが決意の動機となりました。


「親孝行とは親に心配をかけないこと」。小学校時代に肝に銘じた担任教師の箴言です。

このために最初に課せられた責務は糊口を凌ぐ生活からの脱却。ところがやっと軌道に乗り始めた開業翌年の昭和48年10月、世界経済を大混乱に陥れる事態が勃発しました。

アラブの石油輸出国が原油の生産制限と輸出価格4倍の引き上げを強行したオイルショックです。

ネオン街から灯りが消え、午前0時からのテレビ放映の禁止、市街地へのガソリン車の乗り入れ禁止などの措置が強要され、マーケットから砂糖やトイレット・ペーパーなどが消失して日本中を震撼させました。

そして49年度には、戦後初めての実質成長率のマイナスを記録し低成長時代に突入していきました。

このような厳しい経済環境下ではありましたが、お得意様の熱いご支援に支えられ、なんとか「親に心配かけない」程度に事業を継続することが出来ました。

ところが開業してわずか7年目のこと。私が10歳の折、向いの燃料店から出火した火災でわが家も全焼、無一文になった時でさえ愚痴や慨嘆を一言も吐露せず、「信義と愛」を庭訓として教えてくれた最愛の父が他界、悲嘆の日々を送りました。

その7年あと、厳格なしつけの中にも愛を隠しきれなかった優しい母も、新築した家に2年過ごしただけで鬼籍に入り、さらに2週間後には、男手ひとつで妻を育ててくれた「実父同様に畏敬していた」義父も後を追うようにこの世を去りました。

波乱万丈で生きてきた親たちの余生を春風駘蕩に過ごしてほしい、という願望は果たせたのだろうか? 今も墓前で自問しながら浄土での安寧を祈っています。

親孝行という目標を失ったその後の私は、漂流船のように惰性の商売を続けていました。ところがある日、進路を導く夜空に輝く星を見つけました。

それは、二人の息子たちの経営参加。この子たちに親の心配をさせたくない。そして「繁盛店を遺してやりたい」という新たな希望が湧出してきたのです。

それを体現するために敢行したのが11年前の大改装。屋号もそれまでのコリアハウスから韓菜和牛コリアハウスに改名し、メニューも一新しての乾坤一擲の大勝負でした。

結果は大成功で、多くの新たなリピーターの獲得が成就できました。しかし、改装2カ月を経て襲ってきたのがBSE騒動。売り上げは激減し、三所帯を賄うには危殆に瀕する態様。

それでも2ヶ月後には対前年同月比売り上げでプラスという異例の復活を達成できました。常連さんの「頑張りや。応援してるで」との温かいご支援のおかげです。「あの時のご恩は一生忘れられない」と今でも家族で当時の感激を語り合っています。

その後も焼肉チェーン店で発生した集団食中毒事件から生起したユッケと、これに続く生レバーの販売禁止など、次々に襲来する難題に果敢に闘いながらも弊店はお陰様で創立40周年を迎えることが出来ました。

昭和47年9月24日。天職となったこの日を記念して、今月24日から28日まで(26日は休業)感謝セールを実施したいと考えています。是非のお越しをお待ち申し上げます。

めぐる季節を駆け抜けて走り通しの私は、どんなに妻や子供たちを寂しくさせたことだろうか? 普通の人たちのように、長期の家族旅行や盛大な誕生祝いをしてやることさえできなかった。こんな凡庸な男のわがままを、いつか詫びたいと思いながら・・・・・懐旧の拙文を閉じたいと存じます。












[ 2012/09/19 17:19 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

驚愕の行動!

寿司店を経営した経験もあり、著名な和食の老舗で20年間、厳格な板場の修業に耐え抜いてきた石原氏(以後は師と書きます)との出会いはまさに僥倖でした。

調理の基礎知識や技能のみならず、厨房の衛生管理から接客の基本的マナー、原価計算の重要性に至るまで教えを仰ぎ、その一言一句に渇仰しながらも脳裏をかすめる一抹の不安。

それは師が、和食の世界では一頭地を抜きながらも焼肉に関しては体験歴が浅い門外漢であること。

難儀な仕入れルートの確保は、先代の父が開拓してくれたレールの上を走るだけ。迫る難関は店の命運を左右するといっても過言でない「焼肉のタレ」。

結局、師が勤務していた大手和食店が多角経営の一環として事業展開していた焼肉店のタレをそのまま採用することに。しかし、開店の”前夜祭”に招待したゲストの試食の評価は「もうひとつやな~」。

師の闘志を奮い立たせるこの一言が、眦を決して究極のタレづくりに挑戦する嚆矢のきっかけとなりました。

このために初めに師がとった驚愕の行動

それは、家族を京阪「大和田」の自宅に残したまま、店の近くにアパートを借りて”タレづくり研究所”を設けたこと。

そこで十数類の調味料を買い込み、繁盛店のタレを持ち帰ってはそれを分析、配剤を研究する日々を送っていました。

後にこの事実を知った日、勤務を終えて帰宅する師の背中に最敬礼する僕の目には大粒の涙が光っていました。

それからも二人の食べ歩きと研究は続き、2日に一度位の割合で「タレだけ売ってくれません?」という問い合わせがくるまでに評判が高まるようになりました。

臥薪嘗胆の「苦節一年」。師の努力が結実した瞬間です。

それから1年半後、「もうあんたに教えることは何もなくなった」と最後の言葉を残して師は去りました。

顧みれば、給料が払えるかどうかも分からない、吹けば飛ぶような新店舗のコリアハウスのために、店主以上の努力を投じ、軌道に乗るまで見守って下さった師の姿は如来さまの化身だったのでは、と今でも思うことがあります。

開業した昭和47年、金満家への野望もなく名声への執着にも欠ける僕の目標はただひとつ。窮乏生活の中で姉たちを篤志の厚い手弱女に育て上げ、僕をここまで扶育してくれた両親への恩返し。

前年にはアメリカ合衆国のニクソン大統領が、電撃的にドル紙幣と金の兌換禁止を発表して世界経済が大混乱したドルショックの年。

1944年から続いたブレトンウッズ体制が崩壊して、日本でもそれまで1ドル360円で固定されていた為替が、この年の12月のスミソニアン協定で308円へと16.88%も切り上げられ、変動相場制に移行していきました。

混迷を深める時代を背景に旗揚げする僕に向けられたのは「失敗したらどうするのん?」という妻の当然すぎる不安。「長距離トラックに乗ってでも、一家を路頭に迷わせることはない」と怪気炎を吐くものの、本当は累卵危うき心情。

このような状況の下、僕たちを支援して下さった多くの皆様のおかげで、コリアハウスは何とか順調なスタートを切ることが出来ました。

駄弁が多くなりましたが、次回に最終章を書きたいと思います。







[ 2012/09/11 14:33 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

希望と夢と不安の船出

右顧左眄しながらやっと決まった進路。ところが焼肉経営に関しては、包丁を握ったこともない全くの素人。

「退職までに時間はあるさ」と太平楽を並べながらも、心中は周章狼狽の”洪水”。

そこで当時の「調理師斡旋相談書」に人材の派遣を申請しながら、昭和47年6月末、全社員の氏名と箴言が記入された寄せ書きのプレゼントを手に、後ろ髪をひかれながらお世話になった会社を後にしました。

7月から工事に着工、1階をすべて解体して店舗と両親の部屋、台所と風呂場に。ところが社会人になってから蓄財した予算は僅か200万円。

予算削減の策として、配置図や見取り図はすべて梅木学問による手製。見積もりが届いた業者に対しては、幹部社員を2階の座敷に招いて「まけてください」と土下座の懇願。業者の方も「こんなん初めてや」と苦笑しながらも、その熱意に応えて下さいました。

当時は中東戦争勃発を背景に、合板やセメントなどの建設資材が逼迫状態。その影響で完工も予定より20日以上遅れの9月中旬。

両親と二人の息子、ひとりの妻の生活を支えていかなければならない基盤、夢と希望と不安の「コリア・ハウス」の誕生です。

形は整ったけれど問題は中身。まるで兵士のいない砦のようなもの。工事は進捗するものの、さきの相談書からの沙汰は数カ月を経ても一切なし。

焦燥感に苦悶しているところにさっそうと登場したのが「我が恩師」となる料理人・石原巌さん(当時40歳)。

続きは次回に書きたいと存じます。
[ 2012/09/05 18:01 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

ひがし(チェ・従業員)

Author:ひがし(チェ・従業員)
   
関西焼肉の女王、
いかりんさん始め、
多くの方々のサポートにより、
関西テレビ「ほんじゃに!」
「よーいドン!」
「モモコのOH!ソレみーよ!」

雑誌「焼肉ニクいっす!」

「特上 関西肉本」、
「KANSAI WALKER」等々、

数々のメディアに
ご紹介頂けるまでになりました。

創業40年、
全ての商品を国産&和牛に
こだわり続け、
地元千林でひっそりと
こつこつやってます。

皆様、ぜひ来ておくんなれー

大阪市旭区大宮3丁目18の18
06・6953・9715
06・6955・1801

定休日:水曜日(祝祭日は営業!翌日の木曜日に代休)

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